掛け持ちになりました

KAT-TUNとジャニーズWESTが好きです

エレファントマン

 

先日、舞台「エレファント・マン」観劇してきました。

 

小瀧くんの出演が発表されてから初めて

「ジョン(ジョセフ)・メリック」という方を知ったんだけれど、

観劇するころには純粋にどんなお話なんだろうって気になってた。

 

それは舞台を見終えた今も変わらない。

むしろ観劇する前より見た後のほうがずっと気になっていて、

何回も彼について調べてる。

 

ここからはきっと小瀧くんのファンとしての感想じゃなくて

ただただこの舞台についての感想になります。

 

 

 

彼はどうして、生き続けることを選んだんだろう。

 

誤解のないように言っておくと決して死ねばよかったなんて思っていない。

 

でも、施設ではぶたれながら雑用を押し付けられ、

大きくなってからも見世物として生きてきた。

そこでも雇い主にお金を奪われて見捨てられた。

そうすれば彼は死ぬしかないということを分かったうえで。

 

色々なところの骨が歪んで、いろんなところに腫瘍ができていて、

頭の重みで横になれないから座って寝る日々って身体的にきついと思う。

いや、絶対きついって。

そのうえ周囲からは正しく化け物として避けられて虐げられて

想像もしたくないほど彼にとって”生きる”ことは強敵だったと思うんです。

 

そして、彼はキリストや死後の世界、天国を心から信じていました。

 

死後の世界では苦しみもなく過ごしてける。

 

それなのに彼は、この世界で生きることを望んだ。

 

雇い主に見捨てられたとき、彼は医者であるトリーヴスに助けを求めた。

生きることを選んだのではなくて望んだじゃないですか。

 

それが不思議でたまらない。

 

なぜ、何もせずとも待っていれば死んでいけた彼が生きることを望んだのでしょうか。

飢えに苦しみながら死んでいくことはきっとつらいけれど

彼が生き続けていったその先だってまたつらいものだとそれまでの人生から想像できる。

それなら、もう終わらせてもいいかなって思うんです。

 

 

もしかすると彼の中には「死ぬ」という選択肢そのものがなかったのかもしれません。

生きることを望んだのではなく、

生きていくことを選ぶ以外知らなかったのかもしれません。

 

でもそれは、彼が過去の人となってしまっている現在知りようがない。

それでも観劇後からずっとそのことが頭から離れない。

 

 

 

彼はどうして、生き続けることを望んだのでしょう。

 

 

 

エレファントマンは、これまで生きることに興味を持てず

ただ、生きているから生きてきただけのわたしに

「生きる」とはなんのか、人は、というよりも彼はなぜ生きようと思うのか

考えるきっかけをくれました。

彼について考えてしまうこの数日間がきっと、この舞台を

これからの私の人生で小さくもなく大きくもない、でもとても大切な

わたしの中の何か核のようなものを変えてくれる作品にしていくんだと思います。

 

 

 

 

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これ小瀧くんを小瀧望としてみていたら苦しくて見ていられなかったと思う。

小瀧くんがジョンとして舞台に立ってくれたから見れた。

モンペなので小瀧くんがこたきくんとして苦しむところはみたくない。

 

おそらくエレファントマンという作品について記事上げます。

何を感じたのかなるべく言葉に残しておきたい。

(まとまってないけどね!!!)

 

・・・というかこの作品のテーマは「生きる」なのか?